トップへ 空洞充填工法の開発と日本充てん協会の歩み 東海地方の亜炭へ
初代会長 故飯田汲事
名古屋大学名誉教授
空洞充填工法の開発 
昭和40年代、東海地方では亜炭鉱山は殆ど姿を消し、後には多くの採掘跡(古洞)が残されました。古洞の多くは地下浅い所にありましたから、あちこちで陥没や地盤沈下が起こりました。名古屋通商産業局ではこのような被害を未然に防止するために、昭和49年に「古洞関連総合施策委員会」を設置して対策にあたりました。この委員会で、古洞の調査・充填材料・充填工法などの関連技術の研究開発が行われ、その業績を引き継いで古洞充填を推進する母体として、昭和52年(1977年)に名古屋通産局の主導で「日本充てん協会」が設立されました。主な充填材料に使用されたのは、瀬戸地域などから珪砂等の選別時に大量に排出されていたキラ(砂キラ)と、同じ地域から産出する山砂利(骨材原料)の選別時に濃縮される粘土(粘土キラと呼ぶ)でした。現在この工法をキラ充填工法と呼んでいますが、この工法が成功したのは、キラのように十分に粒度管理がされている原料を充填材に使用した点にあると思われます。
充填事業は鉱害防止と未利用資源の活用という二つの側面を持って出発したと言えるでしょう。
 かって東海地方は日本でも最大の亜炭の産地でした。しかし昭和30年代後半に始まった石炭から重油へのエネルギー転換に伴い、亜炭鉱山は次々に閉山しあとには水没した地下空洞(古洞)だけが残されました。亜炭の採掘は地下100m以内の浅い所で行われたため、特に浅い所では陥没事故や地盤沈下などの被害があちこちでが発生しました。このような被害に対しては、「臨時石炭鉱害復旧法(平成14年3月末までの時限法律)」によって復旧工事が行われていましたが、この法律は陥没被害などを未然に防止するためのものではありませんでした。
昭和40年代になると東海地方でも都市化の波が広がり、各地で開発工事が実施されるようになりました。しかし折角住宅地や公園の造成を計画しても地下の浅い所に古洞があったのでは何時陥没などの事故が起こるか分かりません。このような状況下で主管官庁であった名古屋通商産業局(現中部経済産業局)鉱山部では、「古洞関連総合施策委員会」を設置し、名古屋工業技術試験所、鹿島建設、中部電力などの協力を得て、陥没などの被害の予防を目的とした地下空洞充填のための関連技術の開発に取りかかりました。
そして春日井市での試験充填、長久手町東部での本格的な充填工事の成功により、新しい充填工法が有効なことが示されました。それからは陥没事故に悩む各自治体や区画整理組合などから充填工事の依頼が相次ぐようになり、委員会の業績を引き継いで、地下空洞の調査から充填までの業務を担当する組織として設立されたのが日本充てん協会です。当時、空洞の調査・充填技術を持っていたのは充てん協会とその会員会社だけでしたから、ほとんどの工事は充てん協会の指導で、会員会社の手によって実施されました。
 その後会員会社はそれぞれに経験も積み、調査や充填施工の技術も進んで来ています。充てん協会の役割も大きく変わっており、各種マニュアルの刊行などを通じて、今までに蓄積された技術を普及し、空洞調査や充填施工の指導と評価を行うことに重点がおかれて来ています。また現在は、空洞充填による地盤の安定化だけでなく、土壌汚染の浄化・水環境の保全など、地盤環境全般についての技術開発が求められています。
 今回名称を「充填技術センター」に変えましたが、今後は空洞充填だけでなく、地盤環境関連技術も含めて、
懇話会活動と技術相談を中心に皆様のお役に立ちたいと考えております。
日本充てん協会年表
1974年
(昭和49年)
名古屋通産局鉱山部に「古洞関連総合施策委員会」が発足(委員長:飯田汲事名古屋大学名誉教授)
1975年 春日井市高蔵寺で、キラ(珪砂などの水簸残滓)による充填実験を実施
1976年 長久手町長湫東部で、区画整理組合の経費負担でセメントバチルス工法(石膏・石灰等にキラを混ぜて充填スラリーを作る工法)により、始めての充填実験工事を実施。6週間後にトレンチにより、空洞だけでなく地盤の隙間までびっしりと充填されていることが確認された。
1977年 長久手町深廻区画整理組合の事業地で、充填材製造プラントを建設して本格的な充填工事を実施。充填量39,000m3。(施工:鹿島建設)
同  年 通産局に代わる充填業務の実施機関として「日本充てん協会」が設立され、名古屋大学名誉教授飯田汲事氏が初代会長に就任。その後、実施された主な充填工事を次に示す。
1980-81年 春日井市高蔵寺の充填工事(鹿島建設)。充填量35,000m3
1983年 豊田市貞宝充填工事(鹿島建設)。充填量21,000m3
1987, 88年 長久手町長湫中部地区充填工事(鹿島建設)。充填量42,600m3
1987年 御嵩町御嵩小学校充填工事(鹿島建設)。充填量5,000m3
1990年 日進市折戸地区充填工事(飛島建設)。充填量44,000m3
1995年 名古屋市吉根地区充填工事(飛島建設)。充填量40 ,600m3
1995年 空洞調査マニュアル、空洞充てん施工マニュアル刊行。
1997年 日本充てん協会創立20周年記念事業。
1998,99年 名古屋市下志段味地区充填工事(飛島建設・清水建設)。総充填量43, 000m3
2000年 飯田会長逝去、 副会長(名古屋大学名誉教授)が会長に就任。
現事務所に移転。
2000-01年 東海環状自動車道可児IC充填工事(飛島建設)。充填量89,000m3はじめて限定充填工法を採用。
2002年 空洞調査マニュアル 補遺(事例集)刊行。東部丘陵線長久手町地内充填工事(飛島建設)。充填量19,300m3限定充填工法使用。
2003-06年 長湫南部地域の充填工事(飛島建設)。充填量5,500m3。限定充填工法一部使用
2004年 改訂版 空洞充填施工マニュアルを刊行。
2006年 空洞充填工事積算資料を刊行。
2007年 充填技術センターに改称。